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平成17年度を振り返って

特集:老化を考える
職員の寄稿
宏仁会小川病院 顧問 近重 百合子
東松山宏仁クリニック 薬剤師 吉田 暁子
宏仁会小川病院 透析室 技士主任 高橋 明男
宏仁会小川病院 管理栄養士 市川 真弓
宏仁会小川病院 医療情報部課長 藤原 学
患者様よりのインタビュー

痛く、はずかしかった体験
宏仁会小川病院 院長 吉田 哲

第5回宏仁会3施設合同研修会 −公開市民講座−
宏仁会小川病院 医療事業部課長 清水 宏

患者様よりのお言葉
宏仁会小川病院 大谷 唯秋 様
宏仁会小川病院 吉澤 卓也 様

宏仁会歩こう会 −第2回スリーデーマーチ大会参加
宏仁会小川病院 菊地 和彦

平成18年度の主な事業計画案

人事往来

編集後記



平成17年度を振り返って

3月 第6回職員総会・職員歓送迎会
1年の事業の始まりにあたり病院の大きな行事の一つである職員総会・職員歓送迎会が3月19日(土)リリック小川(小川町民会館)にて開催されました。
職員総会開催の基本理念と基本方針の報告があり、各職員が自覚と更なる結束力と協力により"親しまれる専門病院づくり"をめざし厳しい医療環境の中で地域に貢献できるよう努力を重ねて行くこと、一方、今年度二つの大きな事業計画が発表され、本格的に始動すること、又、人事については、定年制の導入に伴う人事異動が発表され嘱託・再雇用と新たな組織作りが始まり、新たに役職に付かれた職員に大きな期待を寄せるものである。との報告があり、総会の最後を飾る研究発表では、平成17年4月から施行される「個人情報保護法」を取り上げ映写を使用しての防衛対策や訴訟を起こす側の心理と起こされる側の背景についての具体的な発表が行われました。
第2部の職員歓送迎会では、本年度入職者9名と新たな入職予定者1名、又、本年度退職者は7名であることが報告され、入職には真心込めた対応を是非お願いしたとの挨拶があり和やかな中に終了することが出来ました。

6月 Japan Kidney Week 2005開催 (横 浜)
17年度は「第48回 日本腎臓学会」と「第50回 日本透析医学会」との合同開催でした。
「外来透析導入37例の検討」 宏仁クリニック 院長 冨田 哲也
「FB−250F使用経験と臨床評価 宏仁会小川病院 邊田 智晴
2名の方が発表されました。

6月 日本睡眠学会第30回定期学術集会開催 (栃木)
「閉塞型睡眠時無呼吸・低呼吸症候群(OSAHS)の血中腫瘍壊死因子(TNF-α)日内変動についての検討」宏仁会小川病院 吉田哲院長が発表されました。

8月 宏仁会納涼の夕べ開催
昨年に続いて、第2回目の納涼祭を「湧仙郷」にて開催しました。今回は残暑厳しい8月27日の開催で食卓を囲んで夏痩せ防止のためこの時とばかり食べることに専念?また、アルコールも時間の経過と共に量が増え、そこかしこに楽しい会話の一団が出来、カラオケの小銭が足りなくなるほど歌が入り納涼に相応しいひと時を過ごすことが出来ました。ただし、食事がテーブルに来るのに時間がかかる不手際もあり配慮に欠けたことを幹事として御詫びし反省材料としました。

9月 3施設合同患者研修会・公開市民講座開催
本誌『こうじん』に永年表彰者代表のお言葉と、患者様代表のお言葉を掲載しました。(P12〜P14)

10月 3施設職員勉強会開催
各施設・各部署から6演題の発表があり時間ギリギリ迄質問が飛びかい第T部は終了しました。
第U部の特別講演では、埼玉よりい病院 外科部長の浜田節雄先生を講師にお招きして「早期食道癌、早期胃癌に対するEMR,ESDの現状について」を講演していただきました。

12月 忘 年 会
一年間の締めくくりです。沢山飲んで、沢山食べて大いに楽しみましょう!!!



特集:老化を考える

◇宏仁会小川病院 顧問 近重 百合子

昭和20年頃までは、人生50年といわれて大半の人が50才〜60才位で、死を迎えていました。ですから、老人性認知症になる人は少数だったようです。現在は、有難いことに80才以上の長寿の人達が大勢おられます。元気で長生きは、いいのですが。人間は誰でも年を重ねると、心も体も老化してゆき不自由になります。いわゆる、老いの苦しみが始まります。今回は脳の老化現象@脳血管障害とAアルツハイマ−病について考えてみました。
脳血管障害は、高血圧、高脂血症、糖尿病などがある人が、脳の動脈硬化が進み、ついには脳梗塞や脳出血がおこり、脳細胞に十分な血液がいきわたらず、部分的に機能が失われて、その結果、脳血管性痴呆がおこるのです。予防法は、一言でいいますと適度に運動、タバコ、深酒はやめて、塩分と動物性脂肪をひかえ、生活習慣病(高血圧・肥満)などの予防、早期発見、治療を。
次に、アルツハイマ−病ですが、脳が特有の変化を伴って萎縮し、記憶だけでなく、判断、理解、思考等の広範囲の脳の機能が低下する病気です。近頃この病気のなりたちが、かなり明らかになって来てはいますが、まだまだ、詳しい原因は不明です。
予防法は、一言で書くと、転倒に気をつけて、毎日を明るく、物事に感動し、いつまでも若々しく、何事にもくよくよしないで、生活をする事が重要です。
私は小川病院では、一番の高齢者です。老いて行く苦しみを感じるようになりました。
寝たきりにならないように、又、認知症にならないように、体と頭の運動に心がけたいと思い始めている今日この頃です。

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◇老化予防を考える
  東松山宏仁クリニック 薬剤師 吉田 暁子

老化、イヤですね。最近、よく耳にする言葉なのですが、好きになれません。でも、避けて通れないのが辛いところです。小さい文字が見え難くなったり、固有名詞がすぐに思い出せなかったり、「アレ、ソレ」が多くなった今日この頃、顔にもシミ、シワが増え、私にも老化現象は着実に起こっているのですが、あいにく、まだまだ若いつもりでおりますので、どこか他人事に思え真剣に考えたことはありませんでした。ですから、老化を予防する対策など、当然、何もしていません。
しかし、これでは話が終わってしまいますので、1つだけ、最近努力したことを、お話します。
肥満予防のために、ダイエットをしました。大好きな間食を我慢することと、油分と炭水化物を控えることで、4kgの減量に成功し、先日の健康診断の結果も、高値だったコレステロールや中性脂肪が正常値になり、うれしい限りです。
結果的に、老化予防にもなりました、他にも私の生活習慣が何か老化防止に繋がっていないか考えてみました。
食事はできるだけ手作りで、栄養のバランスを考え偏食のないよう心がけています、最近、日曜日には友人と1時間のウォーキングを始めました、これはまだいつまで続くか分かりませんが・・・
あとは、睡眠不足と運動不足を解消したいと思っているですが、これはなかなか実行できません、精神面では、ストレスを溜めない、物事をプラス志向で考える、何事にも興味を持つ、何時も笑顔でを心がけています。アラ?もしかしたらこれら全て、老化の原因因子と言われている活性酸素の抑制や、免疫力を保つことにも役立っている気がしませんか?どうやら、体に良さそうな事は、老化予防にも良さそうです。
これから高齢化社会を迎え、否応無くその仲間入りをしなくてはならないのですから、せめて、いくつになっても若々しく、はつらつと、健康で元気に過ごしたいと願っています。
そのためにも、気付かないうちに体の中で進行する老化は、手遅れにならないうちに予防することが大切でしょう。

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◇老化対策について
  宏仁会小川病院 透析室主任 高橋 明男

太古からの人々の願い、永遠の命とされる『不老不死』この言葉に代表されるように全ての人類がいつまでも若いまま、その状態を維持したいと願い時の権力者は、このために様々な努力と研究を重ねたがそれを叶えた者はいなかった。
それもそのはず現在でもまだ『不老不死』は夢物語である。
保健、衛生も発達し日本の平均寿命飛躍的にのびており『人生50年』織田信長の時代から考えると大げさにいうと約2倍にのびています。
保健、衛生の発達及び管理された中で私達は生活している理由ですが、『不老不死』がだめならせめて若さを保ちたいと願うのが心情です。
小生ならびに当職場の方々もこれに関して非常に敏感に反応する方もおり、ある者は、歳を偽り鯖を読む、又ある者は顔を塗りたくり、「しわ」「しみ」等を入念に隠す毎日を過ごしていますが当の小生は、といえば日ごろより特別に健康、老化に対して無頓着な毎日を過ごしております。
小生の老化対策といえば成すがまま、ありのまま、このような人生を送って参りました。
何か運動したり、何か取り組もうとするとなぜか精神活動が亢進し防衛規制が良いにつけ悪いにつけ働き挫折の一途をたどって現在に至っております。
好きなことが程々にでき、好きなものが程々食べられやるべき事をやり、時に充実感があじわえる、このような生き方が小生の健康法であり、老化防止、です。
世間様には、色々これに効く、あれに効くなどという物が散乱している現在ですが、これを機に又、色々取り組み精神活動と葛藤し防衛規制と戦い、挫折の一途にならないよう心掛け取り組んでまいりたいと思います。

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◇食事による老化防止
  宏仁会小川病院 管理栄養士 市川 真弓

寿命・老化については環境やライフスタイルの影響が大きいといわれています。食生活を見直すことにより、老化の予防を行うことが可能と考えられています。

若さを保つための食事

1.活性酸素の除去
人間にとって酸素は生きるために欠かせないものですが、一部の酸素は活性酸素として細胞を作るたんぱく質を変性させ、体を錆びさせ老化や動脈硬化や癌などたくさんの病気の原因になってしまいます。それを防ぐために抗酸化作用を持つ食品を摂りいれることが必要です。
〈代表的な抗酸化成分と食品の一例〉
◎ポリフェノール
◎コエンザイムQ10
◎葉酸
◎ビタミンE
◎亜鉛
◎βカロチン
◎ビタミンC
◎リコピン 赤ワイン、チョコレート、ココア、緑茶
レバー、アボカド、ピーナッツ、いわし
小麦胚芽、ナッツ類、豆類、レバー
アーモンド、ごま、胡麻油
牡蠣、赤身の肉
緑黄色野菜、海草、緑茶
イチゴ、トマト、ブロッコリー、柑橘類
トマト、スイカ

2.植物エストロゲン
最近注目されている豆腐や納豆の大豆製品に含まれるイソフラボンは癌予防や女性の更年期の症状緩和に効果があるといわれています。ザクロやマカも植物エストロゲンを含む食品として注目されています。

3.食物繊維
果物、こんにゃく、海草などに含まれる水溶性食物繊維には血中コレステロールを低下させる働きが、不溶性食物繊維には便通を整える働きがあります。従って食物繊維が足りない生活は生活習慣病〈肥満、糖尿病、高脂血症、高血圧など〉、を引き起こし、便秘、肌荒れ、老廃物や有害物質の滞留を起こします。また、かむ回数が増えることで脳を刺激し活性化させる作用もあります。

4.骨や歯を強くしよう
骨や歯を強く保つためには、カルシウムやビタミンDなど骨と関係するビタミンやミネラルを十分に摂ることが大切です。またホルモンバランスを整えることで骨粗しょう症を防止することも出来ます。

まとめ
バランスの良い食事とストレスをためないように規則正しい生活をし、老化防止を心がけましょう!

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◇「老化」ということについて
  宏仁会小川病院- 医療情報部課長 藤原 学

突発的な事故や病気がない限り、生きとし生けるものはすべて、いずれは老化して種々の機能が衰え、「木が枯れるように」死を迎えます。
世界保健機構(WHO)の定義によると、65歳以上の人を老人と呼ぶことになっているのだそうですが、果たして老人とは老化した人々を指すのでしょうか。65歳をはるかに超えていても非常に元気で、老人とは言えない人もいれば、定義に合わずに実際の年齢とは信じられないほど老け込んだ人もいます。
老化とは、「加齢によって、身体的機能が衰える」事だそうですが、生物学的にはどの様な事が起こっているのでしょうか。生物学の本には、次のようにあります。「私たちの体は60兆個もの細胞から成り立っていて、細胞は分裂と死を繰り返している。老化のメカニズムについてはいくつかの説があるが、有力なものとしてプログラム説とエラー説がある。プログラム説は、あらかじめ遺伝子(DNA)に書き込まれたプログラムに従って老化と死が起こるという説で、細胞の寿命も遺伝子により制御されているという説。エラー説は、細胞が分裂を繰り返す間に遺伝子に間違いを生じたり遺伝子が損傷を受けたりすることが原因となって、老化と死が起こるという説。学説には様々なものがあるが、今のところ確かなことはよく分かっていない。様々な要因(遺伝的な要因と環境的な要因)が体に障害を及ぼし、老化を引き起こしていると考えるのが一般的である。」とあります。
解ったような解らないような感じですが、「癌細胞は正常細胞であったときに決められていたはずの自分の寿命をはるかに超えて、ほとんど無制限に分裂を繰り返す。すなわち癌細胞の老化はない。」という事を聞くとなるほどと納得できるような気もします。ここで、テロメラーゼという酵素の話しが出てきます。これは人の種々の癌細胞に活性が認められ、不死化した細胞に普遍的に存在するものだそうです。話しを最初の老化にもどし整理すると、「正常な細胞は、保持していたテロメラーゼ活性を何らかの機構で失い、やがて老化と死を迎える。もし、不幸にもテロメラーゼの再活性化が起こると、細胞は不死化して死を免れるが、これは癌細胞となって生物個体そのものに非常に大きな害を与える。」という事になるのだそうです。
なんだか、自分の意思とは逆に体の細胞が不死化した場合を考えると、映画に出てくるエイリアンみたいなものを想像してぞーっとしますし、やはり寿命に逆らわずに自然な形で、おとなしく老化していく方が良いように思えてきます。
老化は、肉体的には避けられないものとして受け入れることが個人にも社会にも必要なのでしょう。問題なのは肉体の老化を支える心・精神的支柱の方でしょうか。
年老いても元気な方は、拠りどころとなるものは千差万別なのでしょうが、精神的にも若々しく、バランスが取れているように見えます。
さて、難しいことを色々考えていないで、まだまだ若い私などは、当面前を見つめることにしましょう。



痛く、はずかしかった体験 尿管結石発作騒動の顛末
◇宏仁会小川病院 院長 吉田 哲

考えてもいなかった事が、突然身に振りかかかることがある。つい最近、尿管結石発作がわが身を襲った。この騒動の中、強烈な経験をした。救急車に乗ったこと。体の中に異物(ダブル・J・カテーテルという寄生虫もどき)を2ヶ月間留置したため便秘で大変な思いをしたこと。さらに、検査や処置のためには当然必要なのことではあるが、吾がおちんちんを心ならずも人様の前にさらすはめに陥ったこと等である。

1.痛みの始まり
今年の8月27日夕方、当院の納涼会で普段と変わらぬ量のアルコ−ルを飲み、帰宅後大人しく就寝している。その夜の午前2時頃、突如、下腹部(骨盤内左側下部)に強烈な痛みを感じて目が覚めた。直感的に、これは、尿管結石だと思った。しかし、肉眼的な血尿は無く、半信半疑のうちに、手持ちのブスコパン錠を飲んで様子を見たが30分、1時間たっても一向に痛みは収まらない。そのうち、吐き気まで伴うようになった。これはいかん。強い鎮痛剤が必要だ。自分の運転で40分先の病院まで駆けつけた。ブスコパン、ペンタジンの注射を繰り返した。しかし、痛みは一向に解消しない。低くうなりながら痛みに耐えた。

2.救急車に乗る
とりあえず緊急避難としてわが病院に入院したが、その後も痛みの発作は繰り返し私を襲った。当直医の小林先生その他諸先生の診察結果、尿管結石であろうが、他に血管系の疾患も完全には否定できない。埼玉医大の救急外来に行きましょうということになった。手際良い手配で、あっという間に救急車内の人となった。氏名、年令、痛みねの程度などを聞かれ、サイレンを鳴らしながら車は疾走する。傍らに、澤田看護師長が付き添ってくれている。患者の付き添医師として救急車に乗ることはしばしばあったが、自分自身が患者になり救急車に乗る破目になるとは夢にも思わない。奇妙な感じであった。埼玉医大の救急外来につくと、多数のスタッフが待ち構えていて、採血・採尿・腹部レ線撮影・腹部エコー検査が短時間の内に行われ、担当医から、軽度の水腎症を伴った左尿管結石症ですと診断され、内心ほっとした。清水課長がわざわざ車で迎えに来てくれていたので好意に甘え乗車、一旦帰院した。この頃には、強い痛みが来る前にボルタレン座薬を使うことに慣れ、痛みをコントロールすることができるようになっていた。

3.ダブルJカテーテル挿入そして2回の衝撃波による砕石術受ける
診断がつき、岩堀泰司先生の仲介で小川赤十字病院の泌尿器科部長の伊藤先生に尿管結石の破砕をお願いすることになった。予め当院で撮影した腹部CTを持参し先生を訪ねた。左腎盂尿管移行部に約20mm大、その他腎杯に4mm大の石がそれぞれ1個あり、痛み発作は結石が腎盂と尿管との移行部にかん頓し水腎症を起こしたために生じたものであり、自然排石は期待できない。破砕しましょうということになった。まず、ダブルJカテーテルを挿入する。その1週後とさらに3週後の計2回の破砕術を行うことになった。小川赤十字病院の最新式体外衝撃波結石破砕装置(ESWL)の偉力は確かなものであった。1回目は、排石量が少なく、こんなもので良いのかと訝るほどの排石量であった。しかし、2回目には1回目の時とは明らかに違った、術後2日、3日の2日間で、泥状のものが大量に排出された。腹部CTと腹部エコー検査から結石は1回目の破砕で20mmものが14mm、2回目にはさらに4mmまで縮小していた。残った4mmの石も2回目破砕後5週目の腹部CTでは見えなくなっていることから、いつの間にか自然排出したものと考えられた。

4.ダブル・J・カテーテルの挿入と抜去を受けた時の感想
ダブル・J・カテーテルというのは、細い内腔を持ち外側に数本の溝がついているカテーテルで、ガイドワイヤを介して腎盂と膀胱との間に留置される。内腔を腎臓から産生される尿が流れ膀胱に排出され、外側の溝と尿管との間を砕石が流れ落ちる構造になっている。非常に理にかなった道具(カテーテル)である。
ところで、このダブル・J・カテーテルの挿入・抜去を受けた後の感想は、何才になっても羞恥心は残っているということを改めて感じたことである。カテーテルの挿入時には、プロボフォールの術前投与により本人の意識はない。だから、痛みもなく恥ずかしさなど全く感じなかった。ところが、抜去の時は、局所麻酔下で行われた。痛みはがまんできたが、その時の羞恥心は極めて大きかった。主治医の説明では、患者の10人中8人が局所麻酔下での抜去を希望するとのことであった。静脈麻酔でその夜一泊するのに比べ、局所麻酔下で抜去後、さっさとその日に帰宅できる方を選ぶ心理が働くのかもしれない。私もその一人で、局所麻酔でその日帰りを選んでしまった。陰部をさらすのは一瞬であり、恥ずかしいのはなんとかしのげると思ってしまった。しかし、体験後の感想では、カテーテル抜去の時も、やはり挿入時と同じように全身麻酔下で、羞恥心から開放された状態で行われる方が望ましいと思う。主治医の説明では、すでに欧米ではそうだがわが国でも、合併症が無い限り抜去時も挿入時と同じ様に全身麻酔下で行い、その日の内に帰宅できる方向にはあるとのことである。

5.多くの方のお世話になりました
病名が確定されてから、破砕装置により破砕され、完全に尿路から石が消失するまでに、丸々3ヶ月間がかかりました。その間多くの人にご迷惑をお掛けし、また大変お世話になりました。特に、理事長・常務には小川赤十字病院入院中わざわざお見舞いにきていただき恐縮致しました、ありがとうございました。
それにしても、記憶とはいいかげんなものである。強烈な痛みや恥じらいも時間が過ぎるとすっかり忘れられ、とにかくあの時は痛かった、恥ずかしかったという思いだけがいつまでも残っている。



第5回宏仁会3施設合同研修会 −公開市民講座−

◇宏仁会小川病院 医療事業部課長 清水宏

平成17年9月4日(日曜日)国立女性教育会館講堂にて、午前の部として3施設合同研修会 東松山宏仁クリニック吉川康行院長を実行委員長として患者様やそのご家族と地域の皆様、取引関係を対象として開催され、血液透析患者様の永年表彰授与式(10年表彰12名、20年表彰2名、25年表彰4名、30年表彰1名、計19名)、永年表彰受賞者代表挨拶として大谷唯秋様、患者様代表として 吉澤卓也様によるお話しをしていただきました。そして医師6名による医療フォーラム(司会 北川 宏理事長、岩堀泰基先生 消化器、澤 貴広先生 糖尿病、吉田 哲院長 呼吸器 腎臓病、冨田哲也院長 腎臓病、吉川康行院長 腎臓病)では、皆様より多くの質問が出されました。
午後の部は、医師でありながら落語家でもある、立川らく朝師匠を特別講師として迎え「立川らく朝〜笑いながら学ぶ生活習慣病〜」と題し、生活習慣病がいかに恐ろしい病気か、また、その予防法等を医師でないと語れない新ジャンルの落語を聴き、参加された皆様が共に笑いながら学ぶことができました。
また出展コーナーも昨年同様に蔵方宏昌先生の江戸時代等の解剖図など、患者様や地域の皆様の展示品も多くの皆様が興味深く鑑賞されておりました。
広報活動として、13市町村(小川町・玉川村・嵐山町・滑川町・寄居町・大里町・江南町・川本町・花園町・都幾川村・東秩父村・深谷市・東松山市)の後援をいただき、ポスター・チラシの掲示等を快くご承諾くださった地域の皆様方の協力により、本当に多くの方々の参加のもと盛況のうちに開催終了し得たことに感謝致します。



患者様よりのお言葉

◇宏仁会小川病院 大谷 唯秋 様

第5回宏仁会合同研修会において透析歴10年、20年、25年、30年の皆様が長年にわたり自己管理に努められたことに対し、今回、宏仁会合同研修会において表彰させて頂きまして、誠に有難うございました。
表彰者を代表して一言、御挨拶を申し上げます。
私は昭和54年12月10日に透析導入してから透析歴25年9ヶ月になります。私は会社での健康診断の検尿で蛋白が(+)で出ていると言われ、一度、小川赤十字病院に行って診てもらうように言われました。検査の結果、慢性腎炎と言う病気で入院するように言われ、3ヶ月位入院して安静にしていると蛋白も(0)となり退院しました。
しかし、1〜2年経って、また蛋白が(++)〜(+++)と出るようになり、入退院を繰り返していました。その後、小川赤十字病院の先生から、一度、埼玉医大に行って検査してもらうほうが良いと言われました。埼玉医大に約1ヶ月入院して検査を行い腎機能が低下しているので、間もなく透析導入になると言われました。何ヶ月かして、埼玉医大の外来で、冨田先生が「1週間位で透析導入になるので逃げてもだめだ。明日、内シャントの手術を行う」と言われ、その日は家に帰りました。その後、手術後は1週間毎日消毒に通い、その後透析に入りました。週3日、5時間の透析をすることになりました。
埼玉医大の透析室では前から透析をしていた佐々木さんと言う方がおり、この方は透析の先生で毎日の食事をした物を書いていて、水分も1日の飲む量をポットに入れ管理している人で食事管理、水分管理、透析についても毎日のようにこまごまと説明頂きました。私は初めた頃は食事をしても毎日のように吐いて苦しい日々でしたが、半年位して夜間透析をする頃になって落ち着き上手くいくようになりました。先程の佐々木さんは、埼腎友の会計部長と全腎協の役員もしている方で、透析について全腎協・埼腎友の活動についてこまかくお話を頂き、全腎協・埼腎友の総会に一度出席してみるように言われて、その年の全腎協・埼腎友の総会に出席してみると皆様が一生懸命に会活動されているのを見て涙が出てきてしまいました。私も会活動に参加しなくてはと思いました。
そして、小川町に透析の病院、宏仁会小川病院が出来てから1年位して、宏仁会小川病院に一度見学に来るようにと言われ早速自分で見学に行きますと、埼玉医大に居られたスタッフの田中さん、松浦さん達がおり安心して昭和57年3月1日から宏仁会小川病院に移ることになりました。宏仁会小川病院の北川院長先生、透析スタッフの田中部長さん、近重婦長さん、松浦主任さん、スタッフの皆様より食事管理、水分管理、体重などの自己管理にご指導頂き何とか25年過ごすことが出来ました。
この所、透析患者は益々増加しており現在25万人となり毎年1万人ずつ増加しています。又、この所糖尿病による疾患により透析導入に入る人が多くなっております。
この様に透析患者も増えてまいりましたので、現在の国家予算の85兆円に対し透析費用は1兆円使用しているようです。
この様に多くの費用が使われている事に対し政府は「三位一体の改革」と言って医療費の補助金削減と所得制限により一部自己負担の導入も始まっており、私達は自己負担が有料化されるそのこと事態を阻止する必要があります。全腎協・埼腎友の会活動に積極的に参加され各病院会の活動と親睦をはかり安心して透析が出来ていけるよう皆様と力をあわせていきましょう。今日、宏仁会合同研修会で表彰をいただきまして有難うございました。今後とも暖かいご指導宜しくお願い申し上げます。

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◇宏仁会小川病院 吉澤 卓也 様

私の急性腎炎発症から透析導入までのお話です。
宏仁会小川病院で透析導入して9年目になる、吉澤卓也です。今日は、私の腎炎発症から透析導入までの話をさせていただきます。宜しくお願い致します。
私は、昭和40年12月急性腎炎を発症してから、昭和63年3月に腎不全症に進むまで23年間ありました。それから、平成9年3月に透析導入になりましたが、この間9年間は食事の制限と薬で養生をしていました。腎不全症になってからは、月2回の定期検査で経過を診ていましたが、とうとう平成8年から検査デ−タが悪化の一途をたどり、体のだるさと不眠に悩まされ透析導入に至りました。導入日は午前中、普通の外来で診察して、その日の午後、すぐに透析導入することになり、とても不安でしたが終了した時には身体がとても楽になったことを今も覚えております。
私の腎臓病との係わりは25歳の青年期でした。冬の12月、深夜2時頃近くの材木工場で大火災が発生しまして、その時私は、地元の消防団員でしたのですぐに出動し、火元の前で放水管を握って消火活動を行っていました。しばらくして遅れてきた後方の消防車から放水が始まり、その放水が降りかかってきて、ずぶ濡れになりました。冷たかったのですが我慢して、そのまま消火活動を続けていました。昼近くになり、炊き出しの握り飯で食事をして小休止をしていたら、背中がぞくぞくしてきて震えがあり体の変調を感じたので引き上げさせて貰い帰宅し休息しました。
翌朝、起床して洗面の時、瞼が重く喉が腫れて熱もあるので町の医院に行き診察してもらいまして、そして尿検査のときビ−カ−に尿を採ったら真っ赤な血液のような尿でした。そして、これは急性腎炎ですと診断がでました。その時、これは重症だなと自覚しました。そして急ぎ今の埼玉医大病院の前身、毛呂病院に入院しまして、4ヶ月間治療に専念しました。それで体調が良くなりましたので、退院を申し出て最終検診として腎生検と腎機能の検査を行いました。結果は良好で腎機能は充分ある、と判断がでまして退院許可がでました。ただし、急性腎炎が良くなったのではなく慢性に移行しているので、外来で定期的に検診を続けるように通知されていたのですが、その後は放置して病院から遠ざかってしまいました。
今思うと、この時が大事で良く養生をしていればと思い残念です。
それからしばらくの間、約20数年は、何の過不足無く仕事に明け暮れていました。しかし、ある日職場の定期健診で腎不全の初期症状が出始めました。今まで120前後で安定していた血圧が160に上昇しており、心配でしたが治療も出来ずにいたのですが、毎年の健診時には170,180,190と上昇して、尿蛋白も多くなり、健診医からこの結果では脳と腎臓が危ないと諭されて、川越市内の病院で治療を始めました。
治療後、血圧は140位で安定して1年位は不安なく仕事を続けていましたが、徐々に疲れやすくなり仕事に身が入らず体力が衰えてきました。この症状を担当医に話しましたらすぐに検査をしてくれました。その結果を聞いて驚き愕然としてしまいました。その時は、もう腎不全がかなり進んで透析寸前まできていると云うのです。しかも、「当院では治療不可能です」となり、仕方なく埼玉医大病院へ受診に行きまして改めて検査をしました。1週間後の検査結果はクレアチニンの値が6.4あり、やはり透析寸前なのですぐに入院して透析の準備をすることを勧められました。そして、入院してシャント手術をうけました。幸い入院してからは、腎機能はそのままに安定したので透析導入はさきのばしになり、経過を診ることになりました。この時は一時良くなるかもしれないと夢のような期待をしていました。その後一通りの検査が終わりまして、退院して外来で経過を診ることになりました。この時から、食事制限と薬で腎機能の保存治療に本気になりました。それから、腎機能の回復を夢見て、漢方薬、民間療法などを探し回り相当ジタバタしました。それで、これが良いと聞けばすぐに試しました。まずは
1. クロレラ療法を1年間
2. 針灸マッサ−ジを6ヶ月
3. 神通力を一時
4. 神だのみの、おまじないを一時
5. 漢方薬を日々煎じて飲むこと6年間
これらの指導者は、腎炎又は透析の初期までなら、必ず治癒すると言い切りましたので私は、結構マジで取り組みましたが、結果は効果なく、みなはずれであった事、確認しました。
その後は、迷いも吹っ切れて落ち着きを取り戻しまして、今は、小川病院で効率の良い人工透析で順調な生活を送っております。しかし、昔のことですが、むなしい思いで苦しんだことがありました。
昭和40年に初めて腎炎で入院した際、ある患者から聞いた話を思い出します。そのころは、腎炎が悪化して腎不全症になるとあとは尿毒症に進行して、苦しんで死を待つだけのつらい生活を送るようになると云いました。当時この話を聞いてからは、自分の症状を省みて、このまま腎炎が段々と悪化して死にいたるのかなと思い日々不安で過ごしました。それから40年を経て今の透析医療の進歩には本当にありがたさと安心を感じております。この恩恵に感謝して、これからは、生かされている命を大切にして、日々少しでも社会の役にたつことを考え行動したいと思います。
ご静聴ありがとうございました。



宏仁会歩こう会 −第2回スリーデーマーチ大会参加

◇宏仁会小川病院 看護師 菊地 和彦

11/6(日)昨年に比べると、かなり肌寒い曇りの中、宏仁会歩こう会は、2回目となるスリーデーマーチ大会参加を迎える事が出来ました。そもそもスリーデーマーチとは、自然と健康とロマンを求め、世界各国や全国各地の歩く仲間との出会いとふれあいを楽しみながら、みんなで歩く国際祭典であります。宏仁会歩こう会としても、このコンセプトを取り入れて、昨年よりこの大会を目標に月々を歩いてきました。
 さて、今回は患者様総数16名で昨年よりは少ない人数での参加となりましたが、今回は高坂の患者様より、6名の参加がありました。今回は前回と同じ5kmコースと、初挑戦となる10kmコースを加えてみました。5kmコースは昨年と全く同じコースであり、東松山ボッシュ工場周辺を、約2時間位で全員完歩できました。今年は、昨年より参加者全体が少なかった為か、ゆったり歩くことが出来ました。中でも松葉杖を使用して完歩された方もいて、大きな自信を持つことが出来たようです。10kmコースは逆に参加者が非常に多いながらも、東松山の街並みから、田園風景を存分に楽しみながらゆっくり歩くことが出来たようです。10kmコースは5名の患者様の参加があり、約3時間で完歩できました。両方のコースに共通して怪我等の報告もなく、全員完歩することが出来ました。完歩した後は恒例のお食事会です。東松山の名物、焼き鳥や武州うどん等で楽しく会食をすることが出来ました。どうやら、これが目当てで参加されている方も多いようです。こんな形ですが、2回目となるスリーデーマーチ参加を無事、終える事が出来ました。宏仁会歩こう会としても、もっともっと色んな触れ合い、健康増進の為に歩いて行こうと思います。



平成18年度の主な事業計画案

宏仁会3施設の主要な事業計画を情報誌「こうじん」をお借りしてお知らせいたします。

○1月19日(木曜日)第1回定例会議を開催し、2ヶ月に1回定例会議開催
3月・5月・7月・9月・11月の第3木曜日午後3時30分より

○3月18日(土曜日)職員総会・職員歓送迎会開催

○4月14日〜16日(金曜日〜日曜日)第103回日本内科学会開催(横浜)

○5月1日(月曜日)高坂(第15回)・東松山(第11回)創立記念写真撮影実施
(宏仁クリニック:平成3年5月1日開設)
(東松山宏仁クリニック:平成7年5月1日開設)

○6月14日〜16日(木曜日〜土曜日) 第49回日本腎臓学会開催(東京)

○6月23日〜25日(金曜日〜日曜日) 第51回日本透析医学会開催(横浜)

○6月29日〜6月30日(木曜日〜金曜日) 第31回日本睡眠学会開催(大津)

○7月中旬、第3回宏仁会納涼祭開催予定

○9月3日(日曜日) 3施設合同患者研修会・公開市民講座開催予定

○10月1日(日曜日) 3施設職員勉強会開催予定

○12月2日(土曜日)小川(第25回)創立記念写真撮影実施
(宏仁会小川病院:昭和56年12月2日開設)

○12月23日(第4土曜日) 平成18年度忘年会開催予定


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